弘川寺
佐藤義清終焉の地です。
えっ、それだ~れ?
西行法師のことです!
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Exif情報
- メーカー: RICOH
- モデル: CX6
- 撮影日: 2018/05/26 14:34:41
- 焦点距離: 4mm
- ISO感度: 100
- 絞り値: f/3.5
- 光源: 不明
- 露出時間: 1/125 秒
- 露出プログラム: ノーマル
- 露光補正値: +0.7
- ホワイト・バランス: 自動
- 測光方式: 分割測光
- フラッシュ: ストロボ発光せず、強制非発光モード
- 撮影シーン・タイプ: 風景
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コメント
前略 セルシオ様 こんばんは。ムラカワです。コメントありがとうございました。「神」については。。宗教上のものではなく、僕の人生の中では。。ご存知でしょうか。F1ワールドチャンピオンの偉大なる男、アイルトンセナになります。僕は十代の頃、レースをやっていました。「速く走る」ことで神に近づける。。でも、人は神にはなれない。。僕のイチバン好きな、漫画家「F」の六田登さんのテーマです。では、僕は何故、写真を撮るのか。。人間であるからです。この名古山は、僕の亡くなった父が火葬された場所です。そこで「神」を感じる、感じないは人間の個々の自由だと思います。では、神は。。それ以上に人の声が重要だから、こういう作品になるのかもしれません。神の声より人の声。それが大事です。僕にとっては。僕、個人の意見ですが、「人は神が現れるのを待っている、神は全てを解放してくれる。神は望むもの全てを与えてくれる」。。神は現れているからこそ、文明文化、芸術、世界。。上手くは言えないですが、人生のチェッカーフラッグを神は最終的に与えてくれる。そうなるような気がしてなりません。僕はそれがあるから、宗教的なものではなく、アイルトンセナに神を感じるように、全てを一生懸命にやり終えたら、人間個々が望む理想の空間。へたどり着くような気がします。先日、亡くなられた野村克也さん。最後まで野球道をやり遂げられた。。今頃、先立たれた、愛妻、サッチーと食卓を囲んで素敵な時間を過ごしているようでなりません。それが神。人間。生き物全てのような気が。。僕も、レースでクラッシュして、死にかけたことがあります。その時に臨死体験といえばいいでしょうか、向日葵畑を見たことが十代の頃にあります。それは神に近づけたのか。。「生きろ」とその僕の神が言ったのだろうと思います。神。人。永遠って、きっとなくて、神は、新しい現実を最終的にご褒美として、人間、動物。生きるものに与えてくれるのだろうと個人的には思えてなりません。僕は六田登先生の神と人間。。の関連性に影響され、生きるべきだと、本当に想った人間のひとりです。アイルトンセナは最終的には事故死でしたが、生ききった人間なのだと思います。僕は上手く言えないけど、神に対しては素直にこう思います。