ぼたもち寺の初詣
鶴岡八幡宮は激混み、本覚寺は大賑わい。
だけど、小さな寺社たちは、
いつもより賑わってはいるものの、混んでいるほどではありません。
ここに来ている方々は、その人の人生の積み重ねの中で、
それぞれに、ここを選んで初詣に来られてるのだと気がついて、
顧みるに私は、何を考えて今ここにいるのかと、
狼狽するような思いに駆られたことでした^^;
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Exif情報
- メーカー: CASIO COMPUTER CO.,LTD.
- モデル: EX-ZR500
- 撮影日: 2019/01/03 12:03:06
- 焦点距離: 6mm
- ISO感度: 80
- 絞り値: f/3.9
- 光源: 不明
- 露出時間: 1/80 秒
- 露出プログラム: ノーマル
- ホワイト・バランス: 自動
- 測光方式: 分割測光
- フラッシュ: ストロボ発光せず、強制非発光モード
- 撮影シーン・タイプ: 標準








































コメント
>・・・私は、何を考えて今ここにいるのか・・・
お決まりの賑やかな初詣は心なしか義務感のようでもあります。
狼狽するような思いこそ、自らを省みるいい機会ではないでしょうか。
素敵な画面構成といい、hanexさんの謙虚な思いといい、
奥深い作品に感銘を受けました。
ありがとうございます。
ぼたもち寺、奇妙な名前のお寺さんですね。
ぼたもちと言えば即、食するもの、食べることは
命を永らえる事に繋がりますね、長寿の寺と置き換える
ことも出来ますが、そんな簡単な事ではないでしょう。
凡人が考える浅い物ではないでしょう、意味深な寺の名、
かなりお歳を召された参拝者の姿が、ふとそのような思
いを抱かせて呉れました。
KUSAMAKURAさん、ありがとうございます^^;
謙虚、というようなものではなさそうで^^;
今の時期、寺社があればふらっと入ってしまうのは、
もちろん写真を撮るため・・・なわけですが、
それに後ろめたさも感じていた、というのが多分発端ですね。
実は今、母が骨折して寺社の間の病院に入院しているもので、
それを見舞うために年末年始は鎌倉を歩き続けでした。
寺社に入ってゆきながら、
今回は神仏に祈るべき正当な事由があるから後ろめたくない!
とか思ってしまったのです。
え?じゃ、神仏に祈るために、ここに来たっての?
じゃなんで、一番お世話になってる鶴岡八幡宮じゃないの?
新年真っ先にこちらを選んで詣でた理由はなに?
実際はとりあえず歩く途中にあったからで、初見の寺社さんだったんですよね。
別の神社では、去年もいらっしゃいましたか?と聞かれちゃったりして、
そういう目で見てみると、皆さん、毎年同じ神社に詣でて、
去年いただいたお守りをお焚き上げしたり、
子供を連れてきて「ご報告」したりしているようだな!と。
この反省があったもので、この数日後に鶴岡八幡宮に初詣して・・・。
あまりに混んでいたものですから、
「せっかく待ったついで」に、「御判行事」なるものを初体験してみたんです。
八幡様の御神印を額に押し当ててもらって、病気平癒、厄除、無病息災を祈念する、
というのだから、まあ母の快癒祈願には合ってそうだし。と・・・。
ところが帰ってから調べてみると、この行事って、
かつて鎌倉武士が出陣するさいに、八幡様の御神印を額に押し当ててもらったという
その行事。
いただいた神符も、かつては血判で誓いを立てるのに使われて、
誓いを破ったら神罰を受けるという、あの牛王宝印。
えええーっ!?何の覚悟も誓いもなく受けちゃったよ・・・・
何とも「ニワカ」ですねえ^o^;。
でも、書いているうちに、
かといって神仏に帰依して信心するかといえば、それはないわけだから、
「ニワカ」なのも悪くはない、
むしろ永遠にニワカであることこそ私には合っている
という気になってきました。
「ニワカ」ならではの狼狽が、写真に色を添える役に立ったなら、
嬉しいです^▽^。
helmetさん、ありがとうございます。
「通称ぼたもち寺」なら分かりますが、門に麗々しく「ぼたもち寺」ですからね。
「日蓮上人」関係なんですよー。
日蓮上人が立正安国論を書いたことで逮捕された時、
処刑寸前に釈放されたそうなんです。
釈放された実際の理由は諸説ありますが、
伝説としては、「天から光が飛んできて上人を救った」ということになっています。
そして、この奇跡をおこしたものこそ、
連行されゆく上人に「一人の老婆」が供養した「ぼたもち」であったと、
そういう風に伝説は語っているんです。
その老婆が住んでいた草庵跡に、建てられた寺、ということだそうです。
刑場に引き立てられてゆくキリストの顔の血を拭ったという聖ヴェロニカの伝説も
思い出しました。
共に、特別でも何でもない一介の信者、一介の庶民の
素朴な愛や思いやりといったものに、力があると信じたい思い・・・ですかね。
母が大腿骨頸部骨折をしてしまって、この日も母のもとに通った帰り道でしたので、
この方の姿を見た最初の思いは「羨ましい」でした。
母も、こうして歩けるようになってくれたらいいのだが。
次に思ったのは、こうして歩けるようになるまで、
この方も大変な思いをされたことだろうということ。
最初は、人がいなくなってから撮ろうと思っていたのですが、
だんだんと惹かれて、御姿をいただいてしまいました。
後から見直して、この日一番印象に残ったのも、この一枚でした。
分かっていただけて、とても嬉しいです^▽^