訪れる人が絶えても
こちらは11月末の「まんだら堂」です。
鎌倉時代から室町時代にかけて供養堂として用いられたと推測されている遺構・・・
16世紀には訪れる人も次第に減ってやがて0になり、
江戸時代には既にその意味も忘れ去られてしまったらしいという。
だけれども・・・。
訪れる人が絶えても、周囲の自然は一年の生命サイクルを繰り返し、
全身全霊で生き、散り果てる瑞々しいその生命をもって、
ここに眠る者たちを供養してきたのだなと・・・。
そんな風に思える光景が広がっていました。
タグ
Exif情報
- メーカー: CASIO COMPUTER CO.,LTD.
- モデル: EX-ZR500
- 撮影日: 2016/11/23 16:05:37
- 焦点距離: 4mm
- ISO感度: 400
- 絞り値: f/3.0
- 露出時間: 1/40 秒
- 露出プログラム: ノーマル
- ホワイト・バランス: マニュアル
- 測光方式: 分割測光
- フラッシュ: ストロボ発光せず、強制非発光モード
- 撮影シーン・タイプ: 標準
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コメント
自然から教えられることが多い、と昔から教えられてきました。
漸くその言葉の意味が分かりかけてきたこの頃ですが、
こちらhanexさんの作品とキャプションからその重みを痛感しました。
心の琴線に触れる、重量感のある作品です。
ありがとうございます。
KUSAMAKURAさん!
心の琴線に触れる、ですか゚∀゚!?
とっても嬉しいです^▽^ノ。
いつもとは違う、私自身も、何やら琴線に触れるものを感じたんですよー゚∀゚。
思えば、私たちが紅葉や黄葉を見たり撮ったりしながら見ているイメージって、
平安時代や鎌倉時代から和歌に歌われ物語に語られ絵に描かれてきたイメージの
延長上にあるんですよね。
この「まんだら堂」に眠る人々のことや当時の人々の気持ちは、
分らないことが多いと思っていましたが、
紅葉や黄葉に当時の人々が思ったこと、それだけは今の我々と同じだと。
そういう文化は、脈々と引き継がれて、
今もこのサイトでも花を開いているのですよねえ。
我々日本人が紅葉に思うイメージの原点を見ている、というか、
銀杏が「まんだら堂」と現代人の仲介をしてくれている、というか。
大切な何かを目にしているように感じたんです。
ですが、実際に写真に撮るとなると、
この日は、「まんだら堂」の保存工事期間中、ということで、
ビニールシートに工事の人が多数。
アングルも構図も限られた中で、
幹で隠すなど工事関係をフレームアウトしながらイメージを追うのに苦しんだ撮影でしたが、
感じたことをお伝え出来たようで大変に嬉しいです。
何時もありがとうございます^▽^ノ
永い永い時を経て往時に思いを馳せると 一枚の画像から多くの積もる思いが偲ばれますね。
科学もない そこに生きる人達の考えだけで残された遺構 しみじみ思うとき偉大な時の重さを
感じます。
おお、helmetさん、「偉大な時の重さ」とは、
何と重みのある詩的な御言葉でしょう゚▽゚。
今時は、桜も銀杏の絨毯も、
道路の上に溜まって掃き捨てられるのが当たり前の情景で、
人々は、そこに美しさだけではない何かを求めてやってきては、
求めていたものをつかめきれないまま帰ってゆく・・・
そんな印象があります。
「まんだら堂」に、その求めるものがあるのかどうかは分かりませんが、
久しぶりに、人と自然の対話の昔ながらのあり方に触れかけた気がしたんです。
何かをつかめたかといえば、こころもとないのは変わりませんでしたが・・・。
写真をきっかけに写真以上に素晴らしい思索をしていただけたようで、
大変に嬉しいです。
何時もありがとうございます^▽^