ジブリアニメの八百年前
場所は、鎌倉と逗子をつなぐ名越切通しの交差する山の中。
鎌倉時代から室町時代にかけての供養堂と考えられている「まんだら堂やぐら群」です。
まだ周辺に店も自販機もなく観光地化していない「無名スポット」ですが、
秋の公開日初日に行ってきたら、今年は初日だけで100名を越す訪問者があったとか。
・・・「やぐら」とは、鎌倉の方言で「岩窟」(いわくら)のことであると、
古い文献にあるそうです。
穴の中に見える石塔は供養のための五輪塔で、
それぞれの穴の前面に納骨穴と羨道、そして扉が付いていた痕跡もあるそうです。
それが、長年の間に山の表面からして崩れ削れてしまって、
剥きだしになってしまったのだろうとのことでした。
このあたりの岩は脆くて、穴が掘りやすかった代わりに風化も早かったのだと。
・・・発掘も終わっていないようですが、
ここは、確認されているだけでも、この小さな「やぐら」が150基以上・・・。
16世紀の検地帳に、この山一帯が「曼荼羅堂」と記されているそうなのです。
ところが、それらしい建物があった痕跡・文献類は見つかっていないと言います。
周辺には、風化して目鼻も文字もない物から新しい物まで、石仏、石塔、石祠類多数。
豪華もしくは質素な寺院があったのに、跡形もなく消えてしまったのか。
もしかしたら、この山自体が岩窟寺院・曼荼羅堂、
日本のミニ・ボロブドゥールであったのかもしれない・・・などと思ったことでした。
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Exif情報
- メーカー: CASIO COMPUTER CO.,LTD.
- モデル: EX-ZR500
- 撮影日: 2016/10/22 15:23:15
- 焦点距離: 24mm
- ISO感度: 640
- 絞り値: f/5.7
- 光源: 不明
- 露出時間: 1/125 秒
- 露出プログラム: ノーマル
- 露光補正値: -0.3
- ホワイト・バランス: 自動
- 測光方式: 分割測光
- フラッシュ: ストロボ発光せず、強制非発光モード
- 撮影シーン・タイプ: 標準
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コメント
日本なんですね(◎_◎;)海外かと思いました。ほんとジブリに出てきそうな場所ですね
束の間、八百年も前の見知らぬ人々と
親近感を感じました。
先祖を敬い、故人を思う気持ちは昔も今も
全く変わりませんね。
今は形は失われた部分も、その形跡だけはいつまでも
残したいですね。
誠に異次元 遺跡ですね。
実は埼玉県にも似た遺跡があります。
何百穴規模 古代のお墓との事。
埼玉県東松山市吉見 (吉見百穴)
神秘的ですね。
na39oyagさん、そんな雰囲気に撮れてますか゚∀゚?
日本も日本、東京や横浜から通勤圏内の近さ。
家から歩いて行ける近さだったりします^^;
一度行ってみようと思いつつ、どう撮ったらいいものか分らないと悩んでいた時に、
ここを見て「ジブリに出てきそう」と書いておられる方のブログを読んで、
そういう雰囲気で狙ってみようと思いついて、出かけてみたんですよー^^。
嬉しい御言葉をありがとうございます^▽^!
日本も奥が深いですね^^ノ。
KUSAMAKURAさん、
鎌倉は、山道にも寺院にも「やぐら」が多いんですよねー。
円覚寺にも沢山あって、私も存在には気がついていたんですが、
なぜ剥きだしの岩の穴なのかというところからして、ぴんと来ない、というか、
よく分りませんでした。
そして、この遺跡。
何と言うか、ナマな衝撃というようなものはいろいろ感じたものの、
それが何なのか、そもそもこういうものはどう見せるものなのか、分らず、
自分でも未消化なまま、投稿した被写体で、
今回も大変不安でした^^;
でも、そうでした、
中の部屋に石塔がずらっと並べられたこの光景を見て、初めて、
御魂安らかなれと祈る思いだけは、分った気がした、
それは確かにありましたよー゚∀゚。
KUSAMAKURAさんの御言葉に導かれた思いです。
こういう写真が客観的にどうなのか見当がつかなくて
どうしようか迷っていましたが、
ここの写真を、また投稿する勇気も湧いてきました。
何時も導いてくれる嬉しい御言葉をありがとうございます^▽^
おお、helmetさん、吉見百穴、聞いたことがあります。
ぐぐってみました。
なるほど、遙かに大規模で、鎌倉時代より更に六百年以上も遡るのですね。
現地で貰ったパンフには「鎌倉及び鎌倉と縁の深い地域や寺院などにのみ分布する特殊な遺構」
とあったので、ほかとつなげて考えることもしていませんでしたが、
鎌倉時代に、鎌倉だけ、こういう風習が突然発生した、というのも妙な話ですよね。
古代から鎌倉、室町時代ぐらいまでは、
こういう遺跡を造営する文化が脈々と生きて引き継がれていた、
ということなのかもしれませんね。
壮大な歴史浪漫の広がる刺激的な、そして嬉しい御言葉をありがとうございます゚▽゚
知る人ぞ知ると言った場所なんでしょうか?供養塔であると同時にお墓でもあるんですよね。お骨も見つかってるんでしょうか?仰るように山全体が神聖で信仰の対象であったんでしょうね。検地帳に記述があるということは、この山もどこかの藩の管理下にあったということでしょう。数百年前に初めて発見されたんでしょうか?石像の目鼻が崩れるまでには相当な時間が必要と思うんですが・・・。文献が見つかってないというのも往時に思いを巡らせます。専門家の研究は進んでるんでしょうかね(^_-)
やす坊さん、多大な関心を寄せて下さってありがとうございます^▽^。
1966年に国の指定史跡に指定されたそうなので、
知る人の範囲は、結構広いのかもしれませんねー。
「やぐら」は供養堂であると同時に墳墓だと考えられているそうです。
お骨も納められていたと考えられているのですが、
ここは火葬必須で、火葬後に拾えた数片のみを納骨穴に納めたと考えられているので、
お骨も殆ど見つかっていないようですね。
殆ど、というのは、
斬首されたと考えられるヒトの頭蓋骨が1個だけ見つかっているからで、
かなり手厚く大規模な専用の遺構の奥にあったので、
名のある方のものではないかと考えられているそうですが、
それが誰だったのかは全く分っていないそうです。
考えられている。考えられている。考えられている。
推測ばかりです。
16世紀の検地帳にある「曼荼羅堂」の名前は地名としてのみ記されたもので、
「やぐら」にふれた最古の文献『新編鎌倉志』は江戸時代のもの。
だれが葬られているのかを含めて、『新編鎌倉志』の時点で、
既に推測ばかりになっています。
塔や岩窟にも名前その他、様々な情報が掘り込まれていたと思われるのですが、
それも風化して消えてしまった、ということが大きいのでしょうね。
このあたりは、目鼻が崩れた石像が多いと前から思っていましたが、
当時の石像は、この地方名産の「鎌倉石」を使っていて、
「鎌倉石」は柔らかくて加工しやすいのが売りだったそうですが、
実体は砂岩。崩れやすく磨耗しやすい、と。
そういうことだったのですね。
諸行無常ですーー;
先人達の、信仰深さが伺えます。この様式「岩窟」と言うんですね字を見て、納得!
おお、Kennyさん、ありがとうございます^▽^!
今では失われた葬送様式ですよね。
だけど、ぐぐってみたら、
「○○家(先祖代々)之墓」という、今のイメージ通りの墓って、
明治時代の途中かららしいんですね。
こうしてイメージの変化が起きてきて、継承されずに失われてゆくものがあると・・。
そんなことも考えさせられました^^。