禅と絢爛
【円覚寺の秋2019その2】
在家修行者のための坐禅道場でもある居士林の前で立ち止まる人々は、
禅に魅かれているのか紅葉に魅かれているのか。
何かの出会いの、これは瞬間なのか。
西日に照らされた今年の円覚寺の紅葉は、絢爛なまでの美しさで、
この命の絢爛を、坐禅会ではどのように語るのかと、
尋ねてみたくなりました。
(トリムしています)
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Exif情報
- メーカー: CASIO COMPUTER CO.,LTD.
- モデル: EX-ZR500
- 撮影日: 2019/11/30 15:56:37
- 焦点距離: 10mm
- ISO感度: 250
- 絞り値: f/4.5
- 露出時間: 1/60 秒
- 露出プログラム: ノーマル
- ホワイト・バランス: マニュアル
- 測光方式: 分割測光
- フラッシュ: ストロボ発光せず、強制非発光モード
- 撮影シーン・タイプ: 標準









































コメント
趣のある雰囲気がら、説かれる座禅会の雰囲気が察しられます。
歴史の重みが凝縮されて居ますね。
おお、helmetさん、ありがとうございます゚▽゚。
多くの寺院が、
観光客のための利便性や「もてなし」、
所によっては娯楽性まで追求しようとするようになって、
観光施設としての顔が強くなりつつある昨今、
円覚寺は「第一に寺院である中で、観光客にも扉は開いている」かんじというか、
今なお、現役で生きている、禅の修行道場なんだなというか、
そういう類の「本物感」を、ひしひしと感じるんですよね。
私がここに来るのはいつも土曜日なので、
来るたびに、ここの前に行列する参禅の人々や、
参禅が終って出てくる人々を目にすることになります。
そして、今の季節、その頭上は、いつもこの絢爛なのです。
禅の美、といえば、質実で簡素、
豪華絢爛な華美とは対極にある、というイメージがあるのは
私だけでしょうか。
そんな禅の精神を追求しに参禅する天蓋を飾る、絢爛華美ですよ。
自然の草木の美しさであり、
円覚寺が大切に育てた木々でもあるのだから、
これを否定するということはなくて、
語られるとすれば愛と肯定の語りだろうと思うのですが、
一体どう語られるのかなと。
そんなことを思いながら撮っている時に
禅師の方が出てこられたので、慌ててお姿をいただいてしまいました。
本当は、右側にずっといた人々が立ち去るのを待っていたんですが、
この瞬間を逃すわけにはいかなくて、
後でトリムすることを覚悟してパチリでした。
人がいなくなるのを待って撮った写真のほうが数も多く、
紅葉の撮影としてはそちらのほうが良いかと悩んだんですが、
このタイトルにこの二人、という組み合わせは捨てがたく、
こちらを選ばせていただいた次第です。
感じていただけたものがあったようで、
とても嬉しいです。
いつもありがとうございます^▽^