神仏習合による拝殿と本殿 ~神社にてⅠ~
神仏習合:神は仏にすがって救い求めているという考えから神と仏が合わさった考え方。(拝殿が横長に広い)
外部から仏は伝わってきたものです。厩戸王(聖徳太子)の時代に蘇我氏(仏教)vs物部氏(神道)の政治抗争があり、蘇我氏が勝利し、神仏習合が形成され始めました。
神社でありながら寺院形式を持つ(拝殿で護摩をたいたり)。寺院でありながら鳥居がある。
明治以降に神仏分離令、神道国教化の必要から神と仏が分けられた。これをきっかけとして廃仏毀釈が起こり、仏教の縮小化と結果的に神道も宗教として根付くことがなくなくなった経緯があります。
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Exif情報
- メーカー: NIKON CORPORATION
- モデル: NIKON 1 S2
- 撮影日: 2017/09/09 15:43:15
- 焦点距離: 10mm
- ISO感度: 200
- 絞り値: f/7.1
- 露出時間: 1/160 秒
- 露出プログラム: 露出優先
- ホワイト・バランス: マニュアル
- 測光方式: 分割測光
- フラッシュ: ストロボ発光せず
- 撮影シーン・タイプ: 標準









コメント
神は仏に救いを求める! へえ〜そうなんですね!
この考え方も権現の意味も仏教上位を意識してるってことですね?
日本においては神道が先輩なんですけどね(^_^;)
神仏習合は単に仲良くしましょうってことではなかったんですね(^_-)
日本は世界中のあらゆる宗教が入り交じって、何がなんだか(+_+)
こういうのは群雄割拠とは言わないですよね〜
目に見えないものにすがるのは心が弱いからでしょうか?
神様は人がどれだけ手を合わせ、お詣りに来ても願いを聞いてはくれないと書かれています。人間の希望など眼中にないとありました。それはそうでしょう。
しかし、それでも熱心に手を合わせることで登場するのが眷属神なんですね(^_-)
神様になる修行の身であるが故に邪心が残り、代償を求める。
無心された上に何の願いも叶えられないなら、まさに神も仏もないってことですね(^_^)
神仏習合と逆の考えもあったらしいですよ(*^^*)
世界的にみても宗教は
民衆の心に入りやすいので
大昔も今も政治的に利用しようとしたのかもしれませんね。
仏教は仏像がたくさんありますが、
渡来した初期の起原では
そういった偶像を禁止してました。
(精神的上位であり偶像を拝礼するのは禁じてるみたいですが、
まあ当たり前と言ってはそうですが、
どちらが建前かわかりにくいです(*^^*))
神仏分離令もキリスト教(神道)が広まって
来たため区分けする意味もあった?
国教化とは言っていますがそういう話もあります。
全体的に宗教が中途半端だったのかもしれません(*^^*)
信心な方もおられるでしょうから、
自説はこれくらいにしておきます。
神や仏(そういう呼び方をしてるだけ)が
高次元的存在(5次元?時間と空間が存在しない)で
あるとすれば
いたとしても別段おかしくない様に思います(V)o¥o(V)
そういう存在に願っても願いが叶うわけはないのですが。