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「平日の観覧車」
コメント:仕事で横浜に行きました。ショッピングエリアをくぐると、みなとみらいの公園の観覧車が目に飛び込んできました。
ふと、最近家族と出かけてないなと思い出しまいた。二つの丸が面白くてシャッターを切りました。
竹中さん、こんにちは。写真家の高崎勉です。 この度は音声による作品講評に申し込みいただきましてありがとうございます。
早速、お送り頂いた作品を拝見します。
タイトル「平日の観覧車」
タイトルの他にコメントもいただきました。
読み上げさせていただきます。
コメント:仕事で横浜に行きました。ショッピングエリアをくぐると、みなとみらいの公園の観覧車が目に飛び込んできました。そのとき、ふと、「最近家族と出かけてないな」と思いました。」
観覧車とその近くにあるアトラクションの二つの丸の構成が面白くてシャッターを切りました。
ということです。
いいですね。
僕にも小学生の子供がいますので、仕事の途中で家族を思う、お気持ちはよくわかります。
そして実は僕もこの場所をよく知っています。
右のアトラクションは宙に浮いて角度が変わるんですよね。
僕もしばらく、この場所で風景に見とれた記憶があります。
竹中さんは、この角度がお気に入りだったのですね。。面白い構図だと思います。
さて、この写真をさらに紐解いてみることにしましょう。
まず、竹中さんのコメントから、僕はある種の「切なさ」を読み取りました。
それは郷愁とか、恋心とは異なり、大切な家族を思いながらもその距離感に想いを馳せる父親ならではの気持ちなのだと思います。。
この午後のオレンジ色っぽい光と青空がそれを助長させています。
とてもいいと思います。
手前の街路樹がシルエットになっているおかげで
観覧車とその奥の建造物が浮き上がっています。
遊具=家族、子供。
建造物=父親
と、いった具合に、それぞれの建造物がを人物をのメタファーになっているのではないでしょうか。
意図的ではなく、偶然だとしても、とてもいいと思います。
僕から大きく2つのアドバイスがあります。
この二つの丸いアトラクションに竹中さんが惹かれたのかもしれませんが、
引いた絵ならもっと良くなるのではと感じました。
要するにもっと、周囲が入っていてもいいのではということです。
もう少し、離れるか、焦点距離の短いレンズを使うことで対処できます。
参考の図をご覧ください。
そうするとこの二つの○を結ぶ三角形が画面に収まってきます。見せたい箇所が小さくなてしまうこと自体、
実は消極的な絵になりがちなんですけれども、竹中さんの感じた、、もしくは僕が感じ取ってしまった「切なさ」は
強調されると思うのです。構図が落ち着くと思います。
さて、もう一つは、、お仕事中だったということなので難しいのかもしれませんけれども、
もっと面白い角度がなかったか、時間の許す限りその周辺を歩いてみる。ということです。
この二つのアトラクションの円が織りなす造形美がもっと他にあるかもしれませんね。
そして、もっと近ずいてみると、、平日のこのエリアは閑散としていることに気がつきます。
その寂しさが伝この写真に組み合わさると、シリーズ作品が生まれるかもしれません。
少し話は逸れますが、今、写真作品というものはプロやハイアマチュアだけのものではありません。
写真に限らず、アートに必要なものは時代性と共感です。
「自分は一介の勤め人だから。」、、そうお考えかもしれませんが、それが却っていいんです。
沢山の人々の気持ちを魅了する可能性が秘められているのです。
ただし作品発表の場に出るには、それなりの作法やルールが必要なんですが、
海外では、一般の主婦だとか、会社員や、仕事を引退した方がアーティストそして評価されることが増えてきました。
例えば自宅の近所の浜辺で拾った漂流物ばかりを、写真に納めて発表して作品を海外でも販売している写真家がいます。
また、お医者さんが病院のレントゲンで花など人間以外のものを撮って作品としては発表した例もあります。
今は無限の可能性の時代です。
本業を辞めてまで打ち込むことをしなくても、自分なりのメッセージとテーマを掲げて、
作品を公表できる時代なんです。
では、話を戻しましょう。
僕が以前撮影した作品の中にも観覧車の作品がありました。参考にご覧いただきましょう。
作品Aは、家族で海辺の公園に行った時のものなんですが、
まだ子供が小さかった時で、公園に着いた途端、寝てしまったんですね。
しょうがなく妻とベンチに座って空を見上げた時の写真です。
竹中さんの写真とは異なって、家族と一緒の時の1カットなんですけれども、
仕事と育児に疲れながらも、家族と出かけた時の感慨が切なく蘇ってきます。
また、作品Bは、その時に歩いていたら観覧車の意外な面白い角度に出会って撮ったカットです。
真ん中に画面構成することで、見る側に「なんだろう」と考える間を与えて、
それが観覧車だと理解することで、観覧車というモチーフ自体が持つ、「非日常」に引きずり込まれます。
竹中さんも、みなとみらいの公園を散策することで、意外なアングルや被写体に出会うかもしれません。
公園が営業しているにもかかわらず、乗客が全然いないアトラクションは、
その界隈に仕事に来た仕事中のパパにしか見られない光景かもしれません。
また、お母さんと子供だけで遊びに来ている光景があっても、「切なさ」が強調されるかもしれませんね。
ちょっと寄り道をして足を伸ばしてみたり、考え方を切り替えるだけで、
作品のヒントは、そこかしこに転がっているものだと思います。
僕は職業柄カメラを堂々と持ち歩くことができますけれども、
竹中さんは普段からカメラを持ち歩く難しいでしょうか_。
というのは、この作品は解像度が低い事が残念なのです。
いい写真ですし、広がりのある絵ですから僕はパソコンの画面で見るだけではなく
できれば、大きくプリントしてみたいと感じました。
ですがこの作品の解像度ではキャビネサイズ程度が限界かもしれません。
最近はミラーレスのように比較的コンパクトなデジタルカメラも多くあります。
お仕事のカバンにカメラを偲ばせるのは不謹慎かもしれませんが、
カメラとともに暮らすおつもりでトライなさってはいかがでしょうか。
では、頑張ってください。
また作品を拝見できること、楽しみにしています。